夕方、会議を終えて席に戻ると、デスクの上に修正済みの資料が置かれていた。隣の席の同僚は、もう別の仕事に取りかかっている。「直しておいたよ」と、いつもの調子でひと言だけ。助かった、と返してパソコンを開いたものの、帰りのエレベーターで、その言葉だけでは少し足りなかった気がした。
大きな失敗を救ってもらったわけでも、特別な出来事があったわけでもない。忙しい日に電話を代わってくれたこと。会議で言葉に詰まったとき、さりげなく話をつないでくれたこと。そんな小さな場面は、その都度お礼を言うほどではないように見えて、いつの間にか自分の働きやすさをつくってくれている。
けれど、同僚への感謝は案外伝えにくい。「いつもありがとう」と改まれば、急に距離が近くなりすぎる気がするし、何か理由がなければ、かえって相手に気を遣わせてしまいそうだ。だから、誕生日や異動といったわかりやすい節目を待ってしまう。でも本当は、何でもない日に思い出した気持ちこそ、その人へのいちばん素直な感謝なのかもしれない。
理由を大きく説明しなくても、小さなGiftなら「この前、助かったから」と短い言葉に託せる。仕事の合間につまめる甘いものや、家に帰ってひと息つくときに楽しめるもの。食べればなくなるくらいの気軽さなら、相手にお返しを考えさせにくい。大切なのは豪華さではなく、その人の時間を少し想像して選んだことだ。
渡した翌日も、きっと仕事はいつもどおり続いていく。忙しさの中で会話が短くなる日もあれば、余裕がなくて助けてもらったことに気づけない日もある。それでも、昨日まで当たり前だった関係を一度立ち止まって見つめると、感謝には記念日が必要ないことがわかる。
何でもない日に渡したものは、何でもない日々を見ていたという合図になる。選んでいる間に浮かんだのが、受け取ったときの同僚の少し困ったような笑顔なら、それだけで十分な理由なのだと思う。
何でもない日のGiftは、日々の小さな支えを見ていたという合図になる。


