午後九時を過ぎた帰りの電車で、今日送った資料をもう一度開く。何度も直して、締め切りに間に合わせたもの。返信は短いスタンプひとつだった。問題なく終わったのだから、それでいい。それでも画面を閉じたあと、頑張った時間ごと何もなかったことになったようで、少しだけ寂しくなる。
大人になると、できて当たり前とされることが増えていく。体調がすぐれない朝も時間どおりに家を出る。気まずい場をやり過ごし、頼まれた仕事を終え、笑顔で「お疲れさま」と言う。誰かに話すほど大きな出来事ではないから、自分でもすぐに忘れてしまう。でも、その一日を平気な顔で過ごすために使った力は、なかったことにはならない。
自分へのGiftという言葉に、少し贅沢な響きを感じることがある。何かを達成した日や、誕生日のような理由がなければ選んではいけない気もする。けれど、それは自分を甘やかすためだけのものではない。今日を終えた自分に「ちゃんと見ていたよ」と伝え、明日との間に小さな区切りを置くことでもある。
帰り道に選ぶなら、生活を大きく変えるものではなくていい。お風呂のあとにひとつだけ味わう甘いもの。休日の朝を少し楽しみにできる飲み物。あるいは、毎日使うたびに気持ちが整う小さな雑貨。誰かの好みや反応を考えず、今の自分が本当にうれしいものを選ぶ。その時間に初めて、今日は思っていたより疲れていたのだと気づくこともある。
自分に贈るものは、頑張り続けるためのご褒美でなくてもいい。休みたい日には休むことを許し、うまくできた日には、その事実を自分の中に残す。誰にも見えなかった努力まで成果に変えようとしなくていい。ただ一度、見過ごさずに受け取ればいい。
包みを開くころには、今日の出来事はもう過去になり始めている。それでも、その日に自分を思って選んだものがあれば、一日はただ消えていかない。誰かに褒めてもらえなかった夜、自分だけは、自分のいちばん近くにいることができる。
誰にも見えなかった頑張りを、自分まで見過ごす必要はない。


