夜、冷蔵庫を開けると、切らしていたはずの牛乳が入っていた。洗面台には新しいタオルが掛かり、玄関の傘はきれいに畳まれている。誰がしてくれたのかはわかっているのに、夕食の話や明日の予定に紛れて、結局何も言わないまま一日が終わる。家族への「ありがとう」は、いつも言える安心があるぶん、いちばん後回しになりやすい。
家族がしてくれることには、名前のつかないものが多い。帰宅時間に合わせて部屋を暖めておくこと。遅くなる日に、食事を残しておくこと。元気がないと気づいても、あえて理由を聞かないこと。ひとつずつは小さくても、なくなったときにはじめて、その人の気遣いに守られていたとわかる。
それでも、改まって感謝を伝えるのは少し照れくさい。「いつもありがとう」だけでは急に大げさな気がするし、普段言わないぶん、何かあったのかと心配されそうでもある。近い関係だから言葉がいらないのではなく、近すぎて、言葉にするきっかけを見失っているだけなのかもしれない。
そんな日に選ぶGiftは、感謝を立派な言葉へ変えるためのものではない。「帰りに見つけたから」「一緒に食べようと思って」と言えるくらいがちょうどいい。夕食の片づけが終わったあと、箱を開けてそれぞれ好きなものを選ぶ。甘いものをひと口食べながら、今日あった出来事をぽつぽつ話す。その時間の中なら、言えなかったありがとうも、いつもの会話に混ぜられる。
食べればなくなるお菓子は、暮らしの中に何かを長く残すわけではない。けれど、同じテーブルを囲んだ夜や、「これ好きそうだと思って」と差し出された瞬間は、不思議とあとまで覚えている。好みを知っていることも、疲れている顔に気づいていたことも、家族だからこそ渡せる気持ちの一部になる。
大きな感謝には、大きな出来事が必要だと思ってしまう。でも本当は、今日もいつものように帰れる場所があったことだけで、理由はもう十分なのだろう。何でもない日に選んだ小さな甘さが、これまで言いそびれた分まで伝えるのではなく、まず今日のひとつを届けてくれる。


